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神に歌を捧ぐ

かつて、音楽を師事した方がこんな問いを投げかけた。

『歌の起源は何だと思う?』

と。
自分は単純に「仕事唄では?」と思ったけれど、彼女はこう続けた。

『祈り、ではないか』

と。
その手があったか! と自分の浅はかな回答を恥じたけれど、このエピソードを自分は一生忘れることは無いだろう。

起源であるかはともかく、世の東西を問わず歌が祈りと共に発展したことは事実だ。
西洋音楽を演奏する、特に歌を歌う者にとって、その背景にある信仰を理解することは不可欠だ。
「日本人に西洋音楽は理解できない。つまり日本人に西洋人を感動させるような演奏は出来ない」と言われた時代があった。
現代でも、我々日本人演奏家達のヨーロッパコンプレックスは根強い。
自分は信仰は中立的だけれど、西洋音楽を愛している。
しかし、これまでの音楽活動の中で「ヨーロッパの教会で」きちんとコンサートを行った経験は無かった。
それがハンブルグで叶ったのだ。

今回の会場がここ、ハンブルグ アルトナの聖ペトリ教会。
アルトナ聖ペトリ教会IMG_6922.jpg
パリ モンマルトルのサクレ・クール寺院よりも古い130年の歴史を持つらしい。
「ヨーロッパの教会」で歌うことの意味とは。
キリスト教文化を育んだ風土、つまり日本では梅雨時の6月にあって比較的乾燥した空気と石造りの建造物がもたらす音響効果、そして何よりこの場所自体が神に通じているというおごそかさは日本の教会で感じるものとまた異なるものだ。
アルトナ聖ペトリ教会IMG_6925.jpg

今回のコンサートは、現地の合唱団 KANEMAKI-CHOR の主催ながら、「和」と題され、合同演奏会の体裁を取った。
ハングルグIMG_6944.jpg
交互にステージに立つ構成の中で、それは我々三月会(さんげつかい)の第一ステージのまさに一曲目で起こった。
Charles Gounod の“Gloria”の演奏は我々自身にとっても幸せな体験だった。
聖ペトリ教会の音響の心地好さは前日のリハーサルで既に体験していたけれど、本番の演奏ではメンバー全員がそれを上回る何かを感じていた。
これがいつもの国内のホールでの演奏だったら、「本番マジック」と笑っただろう。
しかし、この時は違った。
信仰を持たない自分達が歌う神を讃える歌を、きっと神自身が聴いていたのだ。
一曲を歌い終えて充足感に浸ろうかと深く息を吸い込んだ刹那、我々を迎えたのが、演奏以上に響き渡る聴衆の皆さんのスタンディングオベーションだった。
それは一体どれだけの時間続いていたのだろう。
次の曲を歌おうにも拍手が鳴り止まない。
神だけではない。
本場ヨーロッパの聴衆の皆さんが、日本人である我々の、しかも彼等の伝統文化である宗教音楽の演奏を受け入れてくれたのだ。
こんなに幸せなことは無い。

この後、我々はいづれも有名な宗教曲、オペラアリア、歌曲を歌い、第二ステージでは日本の歌を披露した。
KANEMAKI-CHOR による第一ステージでは、自分も大好きな Gabriel Fauré の“Cantique de Jean Racine”(邦題:「ラシーヌの雅歌」)などが歌われ、第二ステージでは現代宗教曲やメンバー作曲によるオリジナル曲が披露され、こちらも勿論素敵な演奏だった。

演奏を終えた後の打ち上げ会場で聞いた話だ。
現地の聴衆は耳が肥えている。
反応も露骨だ。
お世辞やお義理であんなに熱狂的な拍手はしない。
と。

このブログ上では色々な出来事を割愛したけれど、現地の文化に触れるという今回の旅の目的は果たされた。
このコンサートへの参加を誘って頂いた大先輩はじめ、参加を受け入れて頂いたメンバー全員と全ての関係者に感謝の意を表して、ヨーロッパ旅行記を一旦(ようやく 笑)終えることにしよう。
皆さん、本当にお世話になりました。
自分は幸せ者です。
ありがとうございました。


来年にはパリでのコンサートが計画されている。
参加できるかどうかは未定だけれど。
舞台が用意されているというだけでワクワクしている。


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